Precious&Precious
こちらの二人に関しては苗字すら覚えていなかった。男の方は信濃。女の方は佐倉だった筈だ。
しかし仲間を見つけてすっかり緊張感の解けた颯太は、いくらかほぐれた表情で手をあげた。
「よお、信濃」
「お、おっす」
信濃はぎこちなく挨拶を終えると、いそいそと席に着く。佐倉に関しては、窓辺の、日が眩しい席に着くまでずっと俯いたままで、表情を窺うこともできなかった。逆行でさらに影が目立つ。
そういえば佐倉はそんな人だった。と玲奈は思い起こす。ゼミの中では大人しく、何を考えているのか分からない。唯一の女子であるということで玲奈も何度か話しかけたことはあったが、もごもごと呟くような返事か、愛想笑いとテンポの悪い返答しか返ってこない。会話をすることにも疲れ、気がつけば颯太としか話さなくなっていたのだった。
信濃とは颯太と三人で、そこそこ話したことはあったはずだ。颯太と信濃は男子同士でうまくいっているようだったが、それでも本当に文学が好きで文学部に入った信濃と、将来の進路選択を先延ばしする為に文学部を選んだ颯太とでは、根本的な部分は合わない。休み時間は基本的に信濃は先生と話しており、颯太と玲奈が話し、佐倉がどこかに出かけていた。
颯太はぎこちない信濃の様子に違和感を感じたのか、玲奈と同じ質問をした。
「お前さ、『Breezy』ってバンド知ってる?」
「ん、何だそれ? お前の好きなバンドか?」
残念ながら信濃は二〇一一年から来たわけではないようだ。颯太はあからさまに期待外れの表情を浮かべたが、その代わりに、後ろで俯いていた佐倉がハッとしたように顔をあげた。
逆光で相変わらずその表情は隠れていたが、彼女が顔をあげる時は、意見がある時だ。それに気づき、「佐倉さん?」と声をかけると、彼女は小さな声で呟くように言った。
「それ、斎藤くんの、バンド……だよ、ね?」
意外なところからの答えに、颯太はしばらく固まっていたものの、やがて頷いた。
「ってことはお前も、二〇一一年からきたのか?」
彼女はこれでもかというように何度も頷いた。さらにそれに続き、信濃が手をあげた。
「おいおい、俺もだぞ! 昨日までは二〇一一年だったんだよ」
四人の間に、静寂だけが満ちる。容赦なく差し込む光に照らされて、静寂が膨張しているかのようだった。
その静寂を打ち破ったのが、ドアの開く音だった。
「おはよう、いやぁ、何だか懐かしいねぇ」
気の抜けるような声を出して、部屋に入ってきたのは高村教授だった。
最後に見たのは二月の卒論発表会で、それ以来彼も定年退職してしまい、見ることもなかった。しかしいつもならばワイシャツにジャケットというようなラフな服装をしている彼が、グレーのスーツを身に纏っていることに違和感を感じた。
覚えているわけではなかったが、スーツ姿があまりにも見慣れなかったのだ。他の三人もそう思ったのかそれとも懐かしかったのか、とにかく教授をじっと見ていると、高村は照れたように頬をぽりぽりと掻いた。
「そんなにスーツ、珍しいですかねぇ」
どうやら彼自身は前者と受け取ったらしい。パソコン、分厚い本の入った鞄を長机に置くと、ネクタイをきちっと締め上げた。赤い縞模様のネクタイが首元に綺麗に収まる。