Precious&Precious
懐かしさもあり、学食やコンビニを一通り回ってから、文学部棟に入る。ゼミの教室など忘れているかと思っていたが、階段を上っていくと、足が教室へと案内するかのように勝手に動いていく。302と札の下げられた教室のドアを開けると、そこにはすでに生徒が来ていた。
「あ……」
彼の懐かしさと、窓から差し込んできた日の光に目を細める。
教室は埃っぽく、光に照らされて花弁のように舞っている。並べられた長机と椅子。その椅子には大きなギターが置かれていた。そしてその隣に腰を下ろしていたのは、金髪の男だった。
彼はしばらく呆気にとられたようにこちらを見ていたが、やがてその頬をぎこちなく吊り上げ、「よお」とだけ挨拶した。
斉藤颯太。ゼミで一番話していただけのことはある。時間差はあったが、フルネームを思い出すことも出来た。
「お疲れ、颯太」
玲奈は愛想笑いを浮かべて席に着いた。いつもどのような話をしていたっけ。彼とはゼミの中では一番話していたのに。思い出そうとするが、混乱で頭がぐるぐると回るだけだ。
彼は確かバンドのボーカルをしていた筈だ。ちょうどこの時期くらいに事務所のオーディションに合格し、デビューしたことを彼から聞いた記憶があった。今はオーディション中なのだろうか。それとももう結果は出たのだろうか。どうしよう、という戸惑いと躊躇ばかりが頭の中をかき混ぜる。沈黙の時間が辛く、とにかく高村の話でもしようか。そう考えている時だった。
颯太の方から、声がかかった。
「えーと……藍、沢」
肩を震わせて彼の方を向くと、颯太は金色の髪をわしゃわしゃと掻きながら、視線を彷徨わせていた。
人は自分より混乱している者を見ると、不思議と気分が落ち着くものである。玲奈もその例に漏れず、だんだんと落ち着きを取り戻していた。
「どうしたの、汗すごいよ」
彼の顔は汗によって光っている。ビジュアルも悪くはないのに、これでは台無しだ。
未来のボーカルがこれじゃあ、ファンもがっかりするよ。そうからかおうとした時だった。
「お前さ、『Breezy』ってバンド、知ってるか?」
ふいに彼が口にした言葉に、玲奈は目を瞬かせた。誰もいない教室に、その言葉が反響する。
しかしその言葉の意味を図ることはできず、玲奈は頷いた。
「うん、それって確か、颯太のバンドの名前じゃなかった?」
そう言うと、彼はハッとしたように立ち上がり、玲奈の両肩を思い切り鷲掴みにした。その強い力にずきりとした痛みが走る。顔を顰めるが、彼は夢中になっていて、気づかないようだった。
「おいっ、それじゃあお前、二〇一一年から来たのか!?」
その言葉に、玲奈もまた目を見張る。
「え、何で……」
「『Breezy』がデビューしたのは今年の七月で、この時の俺達は今活動してる『Gloria』でデビューしようとしてんだよ。
お前もそうなんだろ!? そう言ってくれよ!」
颯太はそう言って目をしっかりと合わせてくる。玲奈は玲奈で、仲間を見つけたという感激で、言葉が出ずにいた。
確かに自分はオーディションの合格をゼミ内では一番喜んでおり、デビューシングル、セカンドシングル、そしてファーストアルバムまでは購入していたのだ。自分の友人が活躍しているということが大変誇らしく、ゼミで彼と話をする時は大体その話をすることが多かった。
玲奈は感激で潤む目を抑えて、震える声を発した。
「うん……そうだよ、私、昨日までは二〇一一年にいたの」
「俺もだ。目が覚めたら昔住んでたアパートにいて、外に出ても大学の近くで。何のドッキリだと思ったら、バンドの仲間からメールがきて……あぁくそ、意味わかんねぇ」
「私も全然。でもよかった、仲間がいて……」
緊張感が解け、ふっと笑みがこぼれてくる。今まで世界の中で、自分だけが浮いているような違和感と異物感がなくなっていくのを感じていた。
教室のドアが開き、二人の男女が姿を見せた。どちらも懐かしい顔で、そしてどちらも、どこか硬く、緊張した面持ちを見せていた。
自分もこんな顔をして教室に入ったのか。そう考えると少し恥ずかしさすら感じてしまう。