Precious&Precious
とりあえずこれは夢ではないということだけは分かった。
自分が目覚めてからかれこれ二時間は経っているのに、自分がアパートのあの部屋に戻ることはない。頬をつねってみても、頭を叩いてみても、僅かな痛みを感じるだけで、それ以外に変化は何もなかった。
一旦アパートまで行ってみようかとも考えたが、恐らく意味はないだろうと考え直した。
(久しぶりに、友達に会えるかな)
それよりも無性に友人に会いたくなっていた。せっかくなのだ、連絡を取らなければ面白くない。
電車のドアにもたれかかり、昔は飽きるほど見ていた景色を見ているうちに、そんな思いさえ湧き出てきた。
春の日差しは柔らかく、県境を繋ぐ川面をキラキラと輝かせている。河川敷を歩く人々も、春という季節を前にしてはしゃいでいるかのように見えた。すでに緑によって支配されかかっている桜並木だけが残念に思えたが、それは二〇一一年でも同じことだった。むしろ、今自分が働いているということ自体が夢なのではないかと思えてくるほどだ。それほどまでにこの光景は、身体に染み付いていた。
大学の最寄り駅に着き、十分程歩く。その間に携帯電話を取り出し、いつも一緒に行動していた友人にメールを送った。
『今日って大学来る?』
一つ昔の携帯電話は濁点や半濁点のキー位置が違い、何回か躓いたが、それでも徐々に感覚を取り戻していく。今使っているものよりもいくらか傷ついた液晶画面を見つめて、玲奈は口元を緩めた。
手の中の携帯電話がメールの着信を告げる。音をたてて震えるそれを止め、新着メールを見れば、それは先程送った友達からのもので、そこには『今日は就活あるから行かないよ』と表示されていた。
玲奈は比較的早く就職活動を終えていたが、友人は結局夏過ぎまでかかっていた。そしてその頃には卒業論文や――プライベートなことに追われ、気がつけば連絡を取らなくなっていったのを思い出す。カールした髪の毛を指でくるくるとなぞりながら、返信を終え、携帯を鞄に戻す頃には、大学に到着していた。
(ゼミかー……いつもならサボるところなんだけどなぁ)
正直、ゼミは好きではなかった。
ゼミの教授をしている高村という男は二〇〇七年で定年を迎える為に、自分達が最後の教え子だと何回も主張していた。中途半端では終わらせたくないという教授本人の希望により、三年以下の学生はおらず、四年の学生四人と高村教授だけで授業が進んでいた。
そして自分を除く三人の学生とも、あまり仲はよくなかった。発表や研究の際に話くらいはするが、プライベートで遊びに行ったり飲みに行ったりということはなく、メールのやり取りもほとんどなかった。
携帯電話を替えてからはアドレスすらも消去してしまった気がする。その程度の付き合いだったのだ。
それならば何故わざわざそのゼミへ赴くのか。
それは高村教授自身が、大の『タイムトラベル好き』であったからだ。
もちろん文字通りの意味ではない。タイムトラベルだとか、タイムリープというものを扱う書物が大好きだったのである。
玲奈は文学部に所属しており、高村ゼミではいくつかの書物を通してみる人間の心理だとか、当時の社会情勢だとかを主に研究テーマに設定していた。しかし高村本人はタイムトラベルについて強い関心を持っていたようで、よくタイムトラベルに関する書物を持ってきては、ゼミ生の前で長々と話をしたものだった。
「タイムトラベルというものに起源はなく、遥か昔から、タイムトラベルの要素を取り入れた書物は存在しています。タイムパラドックスに関する指摘も人によってばらばらであり、光を超えれば時を越えることも可能と言われている現代であっても、実際にそのタイムトラベルを実行した人間はいないのです。
しかしもしこのタイムトラベルが実行されるようになればどのようになるのか――とても興味深いものでもありますね」
これはタイムトラベルということになるのだろうか。体ではなく、意識だけが過去に戻ってしまう作品もいくつか高村の話で聞いていた。しかし最近の作品では、タイムトラベルをテーマにした作品はハッピーエンドになることはない。
そんな彼の話を思い出し、玲奈は熱がさぁっとひいていくのを感じた。
(こんな体験してるのが先生だったら、きっと大喜びしただろうなぁ……)