Precious&Precious
 颯太はいくらか興奮した面持ちで、高村に話しかけた。
「先生、先生は『Breezy』ってバンド、知ってますか?」
 高村は首を傾げる。再び残念そうに眉尻を下げた颯太に、しかし今度は信濃が前に出た。
「先生、それじゃあ今年……はまだか、昨年の本屋大賞作品、知ってますか?」
 そう言うと、高村はそれなら、と話し始めた。本が特別好きではない玲奈にはピンとこなかったが、そのうちの一つは映画化もされた作品だった為、聞き覚えはあった。高村は表情を特別変えることなく、話し続ける。
「それでは皆さんは、私と同じく、未来の記憶を持っているということなんですね」
 その落ち着きが何とも不気味だ。しかし恐らくゼミ生全員が、タイムトラベル好きの高村を頼ってこのゼミにきたのだ。この落ち着きがなければ困ってしまう。しかし彼は首を振ると、空いている椅子に腰をかけた。
「……正直私にも、このタイムトラベルについてはよく分かりません。そもそも二〇一一年の私は入院しており、意識も朦朧としていました。そんな生活の中で目を覚ましたら、いつの間にか自宅の寝室で、今まで感じていた胃の痛みもなくなっていたのですから、とうとう天に召されたのかと思いましたよ」
 そう言うと、高村は教え子達を見回し、あぁ、と手を打った。
「安心してください。ここは天国ではありませんよ。さすがにこのゼミ生全員が一気に亡くなるという事は有り得ませんから」
 どうやら表情に出ていたらしい。顔を隠すように両手で覆うと、顔の冷たさが手に張り付いた。思ったよりも緊張していたようだった。信濃だけは無表情のまま、真剣に高村の話に耳を傾けている。
「ただの夢なのか、カミサマとやらが与えてくださった奇跡なのか……分かりません。
 しかしどうせならば、私はこの時間を楽しみたいと思いましてね。それでここに来ました」
 そう言って鞄から本を取り出す。いつか読んだことのある本だ。とある人々が過去へと戻ることのできる方法を知り、その為に争う話だ。最後には全員死んでしまうという、お世辞にもあまり良い話ではない。特に今の自分達にとっては。
 その内容を覚えていたのだろうか、颯太は口を尖らせた。
「先生、いきなりその本はないんじゃないっすか」
「私達は過去へ意図的に戻っているわけではないんですよ。決して神などと驕っているわけでもない。ただせっかくの機会なんです。夢が醒めるまで、二回目の人生を楽しむのも良いかと思いましてね」
 確かに高村からすれば本当の奇跡なのだろう。夢だとしても、病院のベッド以外の場所で、健康なままでもう一度教師として働くことができるのだから。
 玲奈が辺りを見回すと、三人とも、何事かを考えている様子だった。恐らく、この時期に変えたい過去を思い返しているのだろう。
 こんな非常事態であるのに、何を考えているのか、と一瞬苛立ちに似た感情が頭を過ぎる。しかし、考えたところで、何も思い浮かばないのだ。
(私は……)
 気がつけば玲奈も三人に倣い、大学四年から二〇一一年までの人生を振り返っていた。
 就職活動は順調に終わったし、会社にも不満はない。友達にも恵まれている。給料も順調に上がりつつあり、豪勢な暮らしこそ程遠いが、十分な生活もできている。
(……やっぱり、これか)
 鞄に入れていた携帯電話をスライドさせる。待ち受け画面に映る自分と男。
 正直、もう二度とあんな思いはしたくないし、あんな男には関わりたくなかった。
 しかし、彼をどうにかすることができれば、自分の燻った気持ちも晴れるのではないか。そんな思いも同時にあった。
「とりあえず、今日は授業をしましょう。シラバスは忘れてしまいましたが、来週からはきちんと作りますよ」
 気合も十分な高村の言葉に従い、四人はとりあえず持ってきていたルーズリーフと筆記用具を取り出した。


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