Precious&Precious
 確かにこの辺りのマナは濃く、マナが集まっている場所なのだとは理解できる。それでも見上げるほどに大きな風車からマナが配給されて、街の様々な地域や施設に行き渡っているなど考えづらかった。
 アルドヘルムは徐にノアに向き直ると、やや深刻な口調で尋ねた。
「ノア、この辺りとさっきの城の中で、違う感じがしないかい?」
 その言葉にマリーは息を呑む。
 ノアはしばらく眉間に皺を寄せていたが、やがてその顔をゆっくりと傾けた。アルドヘルムが眉尻を下げる。
「やっぱりか……ノアは本来ゼロだから、もしかしたらとは思っていたけど」
 ノアにとってはマナが行き渡るシステムどころか、マナがどんなものかすらも分からないようだった。
 マリーが尋ねた。
「やっぱりそうなると、契約者として問題あるのか?」
 何やら考え込んでしまったアルドヘルムの代わりにアシュレーが説明してくれた。
「通常、契約者の仕事はほとんどありません。多少マナの配給人数が増えたり減ったりしても、少し書き換えるだけで変更できるように設定されていますから。けれど大幅にシステムを書き換えたり、システムを追加したりする時は、契約者の力が必要になってくるんです」
「……竹をつなげて端から水を流せば繋げた通りに流れていくし、少し向きを変えるのくらいは許されるけど、竹の本数を増やしたり、大幅に水の流れが変わるようなことをする為にはノアが必要……そういうことか?」
 その例えでノアも大体は理解したようだった。彼は小さな手を大きく広げ、念じるように目を強く瞑っていたが、やがて大きなため息をついた。
「全然わかんない。マナってどんな感じがするの?」とマリーに向き直る。
「どんなって言われてもな……」
 腕を組む。この巨大な風車の下で感じるマナこそ重苦しいものだが、普段街に溢れているマナはそれこそ風のようなものだった。当たり前のようにそこにあり、当たり前のようにそれを認識できる。最近ではマナを使った細工が施された施設もあるくらいだ。この世界の人にとってマナを説明するということは、空気に含まれている酸素の説明をするくらい難しいことだった。つまりは感覚なのだ。
 確かにマナを感じることができない契約者など、仕事ができるできない以前の問題だろう。
「マナが濃い場所だと、多少元気になる気がする。何ていうか、森にいる時と似てる感じで、ちょっと涼しいというか」
「マナって涼しいの?」
「そういうわけじゃなくて……おいアル、どうすればこいつがマナを認識できるようになるんだよ」
 アルドヘルムは未だ考え事に耽っていたようだったが、マリーの声にはっと顔をあげ、目を瞬かせた。
「あ、あぁ。このあたりは場所も開けていて、コントロールは難しいけどより強力な魔術が使える。その時のマナの流れを、ノアに感じてもらいたいんだ」
 そしてその為の手伝いが、とアシュレーはマリーを見つめる。穏やかそうだと思っていたが、その瞳は戦う者が宿す強い光を放っていた。その勢いに押されてマリーは一歩下がる。
「その手伝いの為に守護者がいる。契約者と守護者が深いところでリンクしていることは既にご存知ですか?」
「あ、あぁ。俺がノアに手を翳してノアが光るのも、そのせいだってアルが」
「正確にはお互いのマナが反応しあっているんですよ。つまり、アルドヘルム様とマリー様が魔術を使って、ノア様にマナを教えることができるというわけです。万が一マナが暴走してしまっても、この程度の濃度でしたら我々の力で制御できます」
 そんなノアは回る風車をひたすら見つめている。その瞳はあまりにも真っ直ぐで、風車に穴が開いてしまいそうなほどだ。しかしその目に映るのは大きな羽根、体に感じているのは風の流れだけなのだろう。
「とりあえずやってみようか。ノア、こっちにおいで」
 とりあえずよりマナを感じられるように、とノアを挟んでマリーとアルドヘルムが手を繋ぐ。目線だけでアルドヘルムと合図を交わし、目を閉じた。
 息を吐き出しながら周りの音に耳を澄ますと、風が吹きぬける音だけが聞こえる。
(俺も、あんまり魔術は使ったことねぇんだけどな)
 マナを使って扉を開けたり、音を出したりというマナ細工ならば扱ったことはある。しかしいざマナを具現化するとなると、普通に生活している限りはほとんど使うことはない。普通に生活していないマリーにしても、ひたすら剣を振るってきた生活だ。魔術とはほぼ無縁だった。
 しかしそんな不安は、どこからともなくやってくる風によってかき消された。涼しい、それでいて重さを持った風が吹いてきたのだ。マナだ。ヴヴヴ、と僅かな音をたてて、下から湧き上がるようなその風に、ふわりと体が持っていかれそうになるが、足を踏ん張って耐える。やがてそれは一本の閃光となり、勢いをつけて真っ直ぐに突き進んだ!
「っ!」
 慌てて目を開けると、その閃光は、何もない空間に吸収されて消えた。
「大丈夫、今のは途中で威力を弱めて拡散させたから」
 慌ててアルドヘルムへと目をやると、彼はにこりと笑っていた。その笑みを崩さずにノアを見下ろす。ノアは未だに目を閉じていた。
「……分かってねぇな」
 半眼でノアを睨みつけ、繋いだ手でこつりと頭を叩くと、彼はぱちりと目を開け、真っ直ぐとした目で彼女を見た。
「……もう終わったの?」
 守護者指名の儀式を終えた後と同じ台詞。彼にとってはどちらも同じようなものらしい。もやもやと小火のように湧き上がってきた別の不安を吐き出すように、マリーはため息をついた。


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