Precious&Precious
 エリザは可愛らしくウインクをしてみせると、ゆっくりと立ち上がった。言葉遣いこそ砕けているが、その動作や雰囲気にはメイドにしかない謙虚さや礼儀正しさが見られる。彼女はドアまで音をたてずに歩いて行くと、体ごとこちらに向き直った。
「それじゃあ私は掃除があるからこれで。頑張ってね」
 丁寧にドアを閉める。それまで彼女が使っていた椅子にノアがよじ登ると、彼は胸をはった。
 今の彼の服装は、会った時のようなボロボロの布切れではない。かっちりと襟元の調えられたシャツと半ズボンで、下には厚底のブーツを履いている。少しでも威厳を見せようという周囲の努力が垣間見えるような服装だ。
 そしてマリーの服装も、今までのものではなくなっていた。黒いタートルネックのTシャツにこげ茶色のベスト。下はズボンと厚みのあるブーツと、他の兵士達と違わぬものになっていた。
「何だか僕達、偉くなったみたい」
「偉くなったんだよばーか。にしても、今までと比べると重いんだよな、この靴」
「混戦になりそうな時は鎧を着ることもあるよ。それに比べたらずっと軽いさ」
 アルドヘルムはそう言うが、彼は術士であるため、靴も細身のものになっている。舌打ちするとアルドヘルムの顔が引きつった。ノアがマリーの真似をするように「ちょっ」と言葉に出す。下手くそだ。
「それにしても……普通の契約者っていうのは何してるんだ?」
 窓の外を見ると、東区域の街全体を見ることができた。豆粒のような人物が、あちらこちらを動き回っている。それぞれが自分の仕事をしているのだ。それに比べて自分達は、歴史や文化の勉強しかしていない。かといって、アゼルのような神経質そうな人物が集まる場所で毎日会議をするような仕事でも困るのだが。彼の、常に害虫でも見ているような表情が部屋に並んでいる様子を想像して、マリーは思わずうげぇ、と顔を青くした。
「多分マリーが思っているようなものじゃないよ。歴史をもう少し勉強していけば分かるんだけど、契約者に求められているのは、本人のマナキャパシティだけなんだ。契約の指輪のマナ蓄積量や増幅係数、コントロール力は、本人のマナキャパシティによって変わるからね」
 だから、とアルドヘルムが腰を上げる。
「そろそろ、ノアにやってもらいたいことがあるんだ」


城の外は窓から見ているよりもずっと明るい。日の光が四角い窓枠に遮られることもなく街全体を照らし、堀の内側に流れている川面は宝石のように輝きながら街の周囲を巡っている。人々の生活を表す喧騒は当然城の中にいるよりも近く、肉を焼く香ばしい匂いや、土っぽい骨董品の匂いが一層近くに感じられた。
三台の箱馬車がその大通りを進んでいく。初めて三人で来たときに使用した馬車と比べればその材質、装飾などは段違いである。細やかで華奢な国章の装飾はそこで普段と変わりない生活を送っていた人々の目をひくものとなった。好奇の目を向けてくる大勢の人々から視線を逸らすように、馬車の中にいたマリーは俯いた。
マリーにとっては愛着こそ沸かないものの、十日に一度は通う程の馴染んだ街である筈だった。しかし今馬車の中から見える街は、その光景とはまったく違うものだった。
(契約者や守護者はこんな景色をいつも見ているのか)
 マリーは一年前に一度だけ、契約者と守護者を直接彼女の目で見たことがあった。
 当時の契約者はセレスという女性で、守護者は二人の男女だった。彼女は大層若く、ブロンドの髪をなびかせた美しい容姿と、国のトップという座に収まるに相応しい威厳と神聖な雰囲気を持ち合わせていた。そんな彼女が、今自分が乗っている馬車と同じものから降り、南区域にある広場で蚤の市を視察していたのだ。たくさんの人々に取り囲まれながらも、人々と言葉を交わすことは一切なかった。まるで透明な壁が間にあるかのように人々と彼女の間には距離があり、それでも彼女は無邪気に蚤の市を見て回り、常に笑顔を振りまいていたという。
(……よく分かんねぇ)
 アルドヘルムとマリーの間に座っていたノアは身を乗り出し、ガラス窓に手をついて外を眺めていたが、人々は遠巻きにただ彼を眺めているだけだ。
 人々は現在の契約者に不満を抱きこそするが、特に大きな行動は起こそうとしないし、前代の契約者が死んだことに対しても大きな反応を示さなかった。一日追悼の為の休日が与えられただけだ。そんな彼女の座っていた椅子に、今はこの小さな少年が座っている。そう考えると、胃に重い石が落ちるような重さを感じた。
「二人とも、風車はこっちだよ」
 アルドヘルムの声に、二人は顔を彼に向けた。好奇心で輝いたノアの表情と、苦虫を噛み潰したようなマリーの表情を見比べて、彼は頭にクエスチョンマークを浮かべた。
 馬車はカタカタと六人乗りのボックスを揺らしながら、最北端に位置する、柵に囲まれた場所へと入っていく。
 アルドヘルム側に張り付いた窓からは大きな塔が見える。水色の柱が聳え立っているようにも見えるが、下から覗き込むように窓に張り付けば、その天辺には巨大な翼が四つ、空気をゆっくりとかき混ぜるように回転していた。
「おっきいねぇ!」
 ノアが叫ぶと同時に馬車が止まり、木目の入った扉が開けられる。そこから金髪の髪をさらりと肩の位置で揃えた男が敬礼した。
 術兵部隊長、アシュレーだ。穏やかそうな瞳をした彼は、彼らが馬車から安全に降りられるよう、手をひいた。
「あの水色の建物がマナの風車です。城の中枢部から魔方陣を通して、マナが風車に送られるんです。それから風に乗せて、この一帯へマナを流す役目をしております」
 何度も聞いた説明だが、やはり実感がわかない。


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