Precious&Precious
「自分から名も名乗らず失礼したな。俺はレクター、元歩兵第三部隊隊長で、今回は任務の為にこちらに戻ってきていたんだ」
「俺はマリー。さっきはフォローしてくれて感謝する」
 それにこたえ、握手すると、彼の指がごつごつと硬くなっているのが分かった。剣によってできたタコだが、余計な部分にはついていない。思ったよりもずっとできる男だ。
しかしそれは向こうも同様に思っていたらしく、緑色の目をほんの少しだけ見開いた。
「これはすごいな。君、軍人でもないのにどうしてこんなに剣を握っているんだい? 狩人とか?」
「とある軍人から剣を習ったんだ。我流の部分もあるけどな」
 そしてマリーもまた自分の巻き込まれた状況を話した。アルドヘルムの勘違いした部分ももちろん修正した。それを一言も逃すまいとするかのように彼は聞き入り、話が終わると長い息を吐いた。
「ウィルドの森に一人で住んでたのか。理由は……まぁ話してはもらえないだろうね」
 アルよりもだいぶ察しがいい。初めてまともな人物に出会えたと、マリーはほっと胸をなでおろした。すると控えめなノックの音が聞こえて、ドアが開いた。隙間から顔を出すのは城で掃除をしていたメイドだった。
「近くの宿を手配いたしましたので、どうぞお休みになってくださいませ」
 そう言うと軽くウインク。マリーは首を傾げたが、色々なことがありすぎて休みたい気持ちが大きかったので、何も言わずに部屋を出た。アルドヘルムとレクターは宿舎に泊まる為、城の門で別れる。別れ際に、アルに声をかけられた。
「マリー、今日は本当にすまなかったな」
「謝るなら明日にしてくれよ。それにお前は謝る必要ないだろ」
「そう言ってくれると助かるよ。それじゃあまた明日ね」
 にこやかに手を振るアルドヘルムにマリーは何も言わずに背を向ける。
 恐らく、もう彼と会うことはないだろう。マリーは逃げるつもりだった。
(あのガキがどうなろうと知ったこっちゃねぇし、いきなり国の重要な人物になれとか納得がいかねぇ。そもそもあいつがもし殺されることになったら、多分俺まで巻き添えだ)
 そもそも自分は人の暮らしにすら関わっていなかったのだ。確かに城での暮らしはまた普通の暮らしとは違うのかもしれないが、それにしても自分には合わない。
 ホテルはエリート達がたくさん住むエリート街に建っており、その大げさすぎるほど荘厳な外観を一目見ただけで、どのような人物が使う宿なのかが分かった。周りにあるエリートの屋敷では多くの使用人達が働いているし、脱走するには向いていない。泊まらずにこのまま逃げるのが賢明か。そう思って素通りしようとしたが、ホテルを警備していた兵士に見つかってしまった。仕方なくそのまま部屋に案内される。さすがにスイートルームではなかったが、それなりい広い部屋に通されると、ホテルマンが機械的な笑みと説明だけを残して去っていった。
 部屋は広く、サイドテーブルには砂糖漬けの果物と、花が美しく生けられている。スプリングをきかせているダブルベッドには柔らかな羽毛布団がかかっており、その隣には水やジュースなどが飲めるよう、簡易的なクーラーボックスが置かれていた。窓の外からは海が見え、ちょうど傾きかかった陽が海を赤く染めてていた。そこでようやく、アイスぐらいしか食事をとっていないことに気がつく。この部屋の豪華さも相まってか、逃げようという気持ちは段々と小さくなっていった。
(まぁ今日は休んで、明日こっそり抜け出せばいいか)
 砂糖漬けにしてあった果物を近くにあった華奢なフォークで刺し、口に運ぶと、疲れをとかすような甘さが口の中に広がった。久しぶりに米が食べたい。俄然湧き出てきた食欲に従い、マリーはホテルマンを呼んだ。


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