Precious&Precious
 前契約者。それが先程彼らが話していたセレスだ。結婚もしていて、息子と娘が一人ずついる。どちらもノーマルであったが、それでも契約者の子どもという傘の下で、大切に育てられていると聞く。
「そのセレスが、死んだっていうのは本当か?」
 何事かを言おうとしていたアゼルをレクターが止める。アルドヘルムはそのまま話を続けた。
「これはノアから聞いたんだけど、彼女はスラム街でコウライ教の襲撃にあって亡くなったらしい。現場に行ってみたけど、亡骸が回収された痕跡があったよ」
 恐らくこれもコウライ教の何者かがやったことだろうけど、と付け加える。アゼルは眉間にこれでもかというほど皺を寄せて、アルを睨んだ。
「コウライ教は後で邪教指定されるでしょうね。重要なのはそこではなくて、ノアの階級についてです」
「アゼルも何となく分かっているだろう? 彼はゼロだ」
 その言葉に、マリーもレクターも目を見開いた。信じられないような表情をしているが、これは実際に信じられないことなのだ。彼がゼロだって?
「ノアはスラム街で暮らしていた。そしてセレス様襲撃の場に居合わせたらしく、その際にセリス様からわが国の指輪、『セム』を受け取った。そしてそれを――飲み込んだと言っている」
 マリーは声を上げそうになったのを必死で抑えた。
(ゼロの人間が……契約の指輪を飲み込んだぁ!?)
 契約の指輪は、国民からマナを集め、契約者の指示通りに開放するという、とても重要なものである。それぞれに名前があり、セントヘルム国の指輪はセムという。その指輪は体にマナを宿していれば誰にでも使うことは出来る。
 しかしエリートやノーマルにはできてもゼロ――その体内にマナをまったく持っていない者が扱うことの出来ないものなのだ。しかも通常、前契約者の死後は集められたマナは全て国民へと戻り、再びマナ収集の手続きが行われる筈なのだ。
 確かにノアの身なりや話し方を見て、普通の暮らしはしていないということは容易に理解できる。しかしそれではおかしい。全てがおかしかった。
(確かにノアは指輪なんてつけてなかった……これは、思ったよりもずっと厄介だな)
「指輪を飲み込んだ後、気がついたら襲撃者もセレス様も、全員死んでいたそうだ」
「ゼロにマナを操るなんてできるのか?」レクターが尋ねる。
「普通はできないけど、指輪を飲み込んだ影響なのかもしれない。現に守護者指名の儀式だって、マナを暴走させたけど、結果的には成功したんだ」
 その時初めてアゼルの視線が真正面からマリーを向いた。真ん中できっちりと分けられた蒼い髪は、ヒステリックな紺色の瞳を隠そうともしない。
「それで、あなたが守護者になったということですね。それはどうしてです?」
「マリーはエリートだ。森でヤクベアに襲われていたところを助けたら、ノアとマリーが言い争いになって、それでノアが怒ってしまって……儀式を、勝手に、始めて、しまった」
 段々と声が小さくなっている。たまらずマリーは机を叩いた。
「俺は襲われてなんかねぇよ。お前が勝手に勘違いしただけだろ」
「それでも、モンスターと戦っている女性を見て放っておくことなんてできないよ」
「だからそれが余計なお世話だっつってんだよ!」
「確かに彼女は強いよ」
 剣の柄へと伸びかけた手がぴたりと止まる。疑う気持ちで振り向くと、レクターが座ったままこちらを見ていた。予想しなかった言葉に、マリーは口をぽかんと開けたまま、しばらく彼と見詰め合った。彼はふっと笑みを零すと、アルドヘルムへと向きを変えた。
「さっきから彼女のこと見てるけど、隙がまったくなかったしな。今の状態を除いてだけど」
 それに比べて、と次はアゼルの方を向く。彼の顔が引きつった。
「今日はいつもに比べて酷いぞ、アゼル。確かにゼロの契約者で、しかも子どもというのは今までになかったことだけど、いつものお前ならもう少し冷静にものを考えられる筈だろ」
「……っ!」
 アゼルは口をぱくぱくさせると、今度は息を盛大に吐いた。アルドヘルムはマリーに向けて、手を合わせた。
「すまないな。アゼルは行政部の人間で、次の守護者を決めていたんだ。それがダメになって、少し機嫌を悪くしているだけで」
「そのなるはずだった守護者っていうのがお前か、レクター」
 そのぶしつけな質問に気を悪くした様子もなく、レクターは頷いた。
「その場所を君にとられたわけなんだけどな。あ、俺もマリーって呼んでいいか?」
「好きに呼べ」
 彼の雰囲気はアルドヘルムとは違う。
 柔らかく、穏やかな印象を受けるアルドヘルムとは違って、レクターは優しくとも、その中には決して折れない芯が存在しているような印象を受ける。恐らくそれは剣士として生きている彼の決して捨てられないプライドや責任感なのだろう。
 やがてアゼルが立ち上がると、三人を順番に見る。表情も瞳も、先程よりはだいぶ落ち着いていた。
「とりあえず、契約者の検査結果は明日まで出ません。全てはそれから考えましょう……明日は、近衛師団の各リーダーを呼ぶ予定です。彼らにも判断してもらうことにします」
「あぁ、すまないな」
 アルドヘルムが謝ると、彼は少しだけ頷き、そのまま部屋を出て行った。マリーとアルドヘルムとレクターの三人が会議室に取り残される。レクターは座ったまま背伸びをすると、マリーに手を差し出した。


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