Precious&Precious
 静かな街の中、こちらに向かってくる異様な気配に気づき、マリーは目を開けた。
 近くにある時計を見ると、もうほとんどが寝静まっている時間帯だ。あれからフルコースの料理とたっぷりの酒を味わい、風呂に入った後すぐ柔らかなベッドに倒れこんだ。野宿では決して味わえない幸福感に包まれていたが、そんな気分もすっかり消えうせてしまっている。マリーは舌打ちするとベッド脇に置いていた剣に手をかけた。
 近づいてくる気配は一旦躊躇するかのように止まったものの、再び動き出す。
 城の誰かだろうか。だとしたらこんな夜中に何の用だろう。頭の中で考えを巡らせた。
(他の大事なオキャクサマに迷惑をかけてまで俺を捕まえようだなんて思わないはずだし、だったらそもそもこんな高級ホテルに泊めないはずだ。だとしたら……前代契約者を襲撃したとかいうコウライ教の奴ら? いや、だったら入り口で兵士に止められている筈だ)
窓の外にちらりと目をやる。星明かりに照らされて、動きがとれないほど暗くはない。マリーは決意したように剣と金の入った袋だけもち、窓枠に手をかけた。
その瞬間、気配が一気に濃くなるのが感じられた。相手は一人だが、足が速い。気づかれたようだった。
マリーは再び舌を鳴らすと、格子の窓枠を一気に引き上げ、隙間に滑り込むようにして外に出た。夜の冷たい風が一気に吹きつけるのを感じてジャケットを忘れてきたことを思い出すが、もう遅い。一階下のバルコニーを経由して地上に降りたつと、すでに彼女の先程いた部屋から誰かが顔を覗かせていた。
暗くて良く見えないが、身を隠すようにローブを身に纏っているのが星明りで分かった。それを見た瞬間、何かがぞくぞくと背中に湧き上がる。第六感というものだろうか。とにかく、この相手と戦っても勝てる気がしなかった。
 地面を強く蹴り、走った。見た者を凍えさせるようなその人物はバルコニーを経由せずに飛び降りたようで、もう後を追いかけてきているのを感じた。鞘から剣が抜かれる音がする。マリーは迷わずに明かりのついていた高級のバーへと入った。強い酒の香りが鼻につくが、そんなことに構っている暇はなかった。呆気にとられているバーテンダーと僅かな客も気にせず、小さなグラスを手にとる。
 ドアが開く。ローブを身に纏った人物だ。店内のランプに照らされて、彼が男の体躯をしていること、そして白い面をつけていることが分かった。男は抜かれた剣をゆっくりとマリーへと向けた。
「客を巻き込むってことは、城の奴ではないんだな」
 気丈な言葉を発したつもりだったが、喉にひっかかるような声しか出ず、何だか情けなかった。男はマリーの質問に答える気もないらしい。そのまま彼女へと歩み寄る。顔を保護されているのでは、グラスをぶつけることもできない。マリーは近くにいたバーテンダーを彼の方へと突き飛ばし、店を出た。
 横目でちらりと彼を見る。とっさに剣を引っ込めたところからすると、殺人を快楽とするような種の人物ではないようだ。しかしこのまま逃げ続けていても捕まるのは時間の問題だ。
 口の中に鉄の味が広がる。それと共に嫌な記憶が頭の中に流れ込んできた。
「くそっ、またかよ!」
 たまらず剣を抜き、回れ右をすると男と対峙する。僅かな明かりを頼りに、男の輪郭をきっちりと捉えると、マリーは男へと突進した。男も剣を構える。彼の息があがっていないのが不思議だった。
 剣と剣を交える。硬い金属音が聞こえたが、すぐに彼女の身体は後方へと吹き飛ばされる。足を引きずった跡をつけて後退するが、男はその隙を逃さずに攻勢に移る。ヒュッと空気を切るような音がしたかと思うと、目の前には剣の切っ先が。しかしそれは彼女を貫通することはなく、喉元で動きをとめた。


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