Precious&Precious
「ねぇアルドヘルム、アルドヘルムは僕の言うコト、聞く?」
「え、あぁ、一応守護者指名の儀式を終えたらだけどね」
(あいつ、アルドヘルムっていうのか)
 アルドヘルムと呼ばれた男は気抜けした様子でノアの質問に答えたが、何かを感じたらしく、慌てて口を開いた。
 しかしノアは二、三歩彼から距離をおくと、マリーを見据えたまま、拳を自身の胸に置く。
「もしかして彼女を守護者にするつもりかい!? それはダメだ、ちゃんと城に帰って……」
「僕はケイヤクシャ、ノア!」
 ノアが大きく叫ぶと同時に、地面にうっすらと光る魔方陣が展開された。しかしそれはとても稚拙で、子どもの落書きのようにも見えた。先程アルが使用したような、整合性のある魔方陣とは大違いだ。
 風が再び集束する。マリーは脂汗がじっとりと背中を流れていくのを感じた。
 契約者とは、人々のマナを集め、増幅させる国の最高権力者である。そして守護者とは、そんな契約者を支える役割を果たしている者のことを指す。断片的ではあるが、そのキーワードから察すると、ノアが何者であるか、ノアが何をしようとしているか――想像したくもないが、それしか思い浮かばない。
(こいつ、もしかして……契約者なのか!?)
 体に感じる程のマナが一気に三人を取り囲む。姿形はないのに、重圧すらも感じるそれは回転しながら天高く上り、一本の大きな柱となった。巻き込まれて吹き飛ばされそうになるが、体に力をいれて何とかそれを抑える。一度地面から足が離れたら、それこそ生きて帰れなくなるくらいの高さまで飛ばされてしまうだろう。
「やめるんだ! ノアはマナをコントロールできないだろう!」
 最悪な台詞を聞いてしまった気がする。アルドヘルムはその場に踏ん張りながらも、マリーに向けて声を荒げた。
「君、手伝ってくれ! このままじゃマナの暴走が起きる!」
「手伝うったって、どうすりゃいいんだよ!?」
「暴走しそうなマナを俺達二人で抑えるんだ! そうすれば守護者指名の儀式は無事に終わる!」
「終わってどうするんだよ! 俺は守護者なんかならねぇぞ!」
「早くしないと、俺達が死ぬだけじゃない、この森も首都も、全部跡形もなくなるぞ!」
 葉や土だけではない。三メートルほどあるの木の枝や、ヤクベアまでもが空を舞っている。このままでは確かに取り返しがつかなくなるだろう。
 もう空の色すらも分からない。マリーはほぼやけくそな気持ちでノアの肩に手を伸ばした。
 その細くて折れそうな肩から、地鳴りのような音をたててマナが押し寄せてくる。たまらず手を離しそうになったが、その上からアルドヘルムが手を重ねたおかげで抑えることができた。
 その瞬間、世界が回転する。
 舞い上げられたかと思って目を閉じるが、何の衝撃も受けないことに疑問を感じて目をゆっくりと開ける。そこは真っ暗な世界だった。
(何だよこれ)
 あたり一面何もない、墨をぶちまけたような空間なのに、何かが螺旋を描きながら流れているのが分かる。手足を動かそうとするが、空気が気体ではなくなったかのような重さを持っていてうまくいかない。
 しかし手を伸ばしてそれ触れてしまえば、自分が溶けてなくなってしまうのではないかと思った。そう思わせるほどの引力を持っていたのだ。上下左右も存在しない世界の中で、ただひたすらマリーは漂っていた。
 しかししばらく漂っていると、キラキラと光るものが三つ見えた。破片のように小さいが、真っ暗な闇の中でそれは見るもの全てをひきつけるかのごとく輝いていた。やがてそのうちの一つが裂けるように大きくなる。それは自分を包み込むように広がり、今まで囚われていた重力や引力を全て引き剥がしていく。
 再び重力が戻ってくる感覚。光と影が正しい場所に配置されていく。やがてそれらはおぼろげながらも輪郭を形成していき、彩りを帯びていった。
 呼吸をすると、嗅ぎなれた、湿った森特有の空気と匂いを感じる。気がつくとノアの肩に手を置いたまま、立ち尽くしていた。
「……収まった、のか」
 マリーが呟くと、重ねていた手を離しながら、アルドヘルムが答えた。
「……まさかこんなところでマナを暴走させかけるなんて」
「何とかの儀式ってやつ、終わったの?」
 振り向くと、ノアがきょとんとした瞳で座り込んでいる。その表情をみて、ふつふつと怒りがこみ上げてくるのをマリーは感じていた。
「てんめぇ、あんだけハチャメチャかましておいて言うじゃねぇか……! 今すぐその面切り刻んでやろうか」
 そう言って腰に手をやるが、剣の硬い感触がない。周りを見回してみると、そこは木がなぎ倒され、大木の枝が突き刺さり、ヤクベアの死骸も今では四体ほどしか見当たらないという酷い惨状だった。とてもじゃないが剣など探せる状況ではない。
 その代わり、アルドヘルムがこちらをじっと見つめている様子が視界に映った。真っ青な顔で眉根を寄せて、今にも泣きそうだ。
「……俺はアルドヘルム。呼び方はアルでいいよ。さっき君も言っていたが、セントヘルム国の首都で働いている。 君の名前を、聞かせてくれるかい?」
「……俺は、マリー……おい、もしかして俺……本当に守護者になっちまったのか」
 素直に答えたのは、アルドヘルムの表情と声色があまりにも悲痛なものだったという理由もあるが、むしろこれからされる重大な宣告を受け入れる以外に道はないと直感で感じたからだった。
 アルドヘルムはマリーの手をとると、ゆっくりとノアの前に翳す。すると、二人の体が呼び合うように淡い光を放った。 それ以外には何も起きなかったが、マリーはゆっくりと一歩、二歩と後ずさった。
 そうなる理由や理屈は分からない。しかし感覚で分かってしまったのだ。
「申し訳、ないんだが、そうみたいだ」
 鳥の囀りさえ聞こえない。風の音だけが聞こえる森の中。
 十分すぎるほど響き渡ったその言葉に、マリーはただ立ち尽くすしかなかった。


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