Precious&Precious
 わざと草を踏み倒して歩を進めると、どうやらヤクベアの子どもは待っていたらしく、彼女の姿を認めると、再び奥へと走り出した。後を追っていくにつれて、足場も悪くなっていくことに気づくと、マリーはゾクゾクとした興奮を覚えた。
 せっかくあたりを照らすまでに昇った太陽から逃げるように森の奥深くへと入る。でこぼこした、しかし何人かの「獲物」が立ち入った跡が見受けられる道を進んでいくと、ぽっかりと開けた場所に出た。
 草に覆われており、足もとられやすいが、木が他の場所よりは重なり合っていないので、再び太陽の光を見ることはできる。
 そして何より――濃い、獣の臭い。どうやらヤクベア達の住処らしい。
 まずは逃げ道の確保、と考え、辺りを見回したマリーは、ほんの少しだけ、目を見開いた。
(十か。少し多いかな)
 だらりと腕をぶら下げながらも、ゆっくりと近づいてくるたくさんのヤクベア。全長は四メートルほどあり、紫がかったその手には巨大な爪を持っている。おそらくまともにその爪の攻撃を食らえば、生きては帰れないだろう。
 しかし中にはまだ全長一メートルにも満たない、子どものヤクベアが三体いる。
 彼らは戦力に数える必要はないし、逆に無駄な動きばかりする彼らに、大人達は足を引っ張られるかもしれない。
 それにうまくいけば当分の食料が確保される。皮は町に売れば高値で売れるし、その金で剣と道具を新調できる。野菜も買える。またとない好機だ。
 数秒の間にこの勝負のリスクと収穫を計算し、結果をはじき出す。そして満足するように頷いた。
 鞘からすらりと剣を抜く。毎日誰かの血を吸っている剣は、それでも僅かな光を受けて、しなやかに光っている。足場を慣らすように皮製のブーツで地面を撫でると、それを真似るようにヤクベア達は足をあげた。巻き上げられた土と草の切れ端は、群をなしてマリーの足元へと強く吹きつけた。
 それを合図に、マリーは地面を撫でていた足を大きく蹴ると、様子を見ていたヤクベアの一体へと切りかかった。迷いなどはまったく見せず、勢いのままに大きく右に剣を薙ぐと、ヤクベアは咆哮と涎を撒き散らしながら他のヤクベアを巻き込みながら倒れていく。血が飛び散るのも気にせず、マリーは横から巨大な爪を振りかざすヤクベアに視線を移した。
 マリーを潰す勢いで降ろされる腕を彼女はワンステップで交わし、今度はその爪に足をかけ、腕を駆け上がった。狙いは襲い掛かってきたヤクベアではない。その後ろで彼女の隙を窺っていたもう一体のヤクベアだった。
 二の腕の部分から大きく跳躍し、目の間にそのまま蹴りをいれる。もがいてめちゃくちゃに振り回された両腕は、近くの仔ヤクベアを一匹吹き飛ばした。それを確認することもなく、マリーは木の枝を掴んで勢いで飛び、地面に着地する。
 そこは影になっており、湿った地面に一瞬足をとられたが、転倒は何とか持ちこたえた。
 回れ右をするように再びヤクベアと向き合い、先程蹴りをいれたヤクベアの額に、剣を振り下ろした。そのヤクベアは再び大きな咆哮をあげたきり、動かなくなった。
 マリーの動きを見て、ヤクベア達も殺気を一層表した。先程巻き込まれて倒れたヤクベアが立ち上がり、四足で突進をかける。マリーは剣を一振りし、こびりついていた血を掃うと、横に立っている木の陰へと逃げ込む。ぽっかりと開いている場所では不利でも、木々が茂る今までの道へと引っ込めば、ヤクベア達は手出しできない。
 標的を見失って混乱しているヤクベアの足元を走りぬけ、二体並んでいたヤクベアのうち、右のヤクベアの足を浅く切りつけた。
 切り抜けるのが困難にならず、相手に痛みを感じさせる浅さ。痛みの為に振り向くのが一瞬遅れたヤクベアを無視し、隣で振り向いたヤクベアへと、剣を振るった。飛び散る血から目を守るように回転し、その勢いで、先程浅く傷をつけたヤクベアへともう一撃。ついでに近くにいた仔ヤクベアの顔面にもかする程度の傷をつけた。
(あんまり傷つけたら高値で売れないしな)
 先程まで冷え切っていた身体も、すっかり温まっているのを彼女は感じていた。
 最初に斬りつけたヤクベアが立ち上がろうとしているのを視界の隅で捕らえ、マリーは再び剣を構えなおした。
 その時だった。
「……え」
 正面から微かに感じていただけだった風の向きが、変わった。


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