Precious&Precious
 突然の出来事に、マリーもアルドヘルムも、そして話していた兵士達も動きを止めた。先程まで大勢の男達の話し声や掛け声で賑わっていた中庭は、段々その喧騒を沈めていく。レクター一人にそれだけの力があるということなのか、新しい守護者に皆が興味を示しているのか、どちらかなのかは分からなかった。
 梢を優しく揺らす風と共に、レクターは再び言葉を紡ぐ。凛とした、涼しい声だ。
「彼女は強いよ。俺が保証する」
「いや、しかしレクター殿には敵わないでしょう? それに昨夜男に襲われたのだって……」
「もちろん俺には及ばないけど。でもお前達よりは強い」
 決して誇張しているようには感じさせない言葉。彼の雰囲気に、全ての者達が呑まれていた。
 やがて一人の男が進み出る。先程会議室に座っていた者で、確か名前はデールといった筈だ。肩書きは近衛師団歩兵第一部隊長。かなりの実力者だ。しかし彼は砕けた様子で彼の肩を叩いた。
「よぉレクター、お前いきなり俺の部下に喧嘩売るのやめろよな」
「デール隊長、申し訳ありません。しかし私は事実を述べたまでですので」
 彼の慇懃無礼な態度に、デールは激昂する様子もない。ただ豪快に口を開けて笑い、先程話をしていた兵士四人に声をかけた。声をかけられた兵士達は肩を跳ね上がらせて、互いを守るように固まっている。
「お前ら、このマリーって奴と勝負しろ。俺の部隊の名に泥を塗るような真似したら、ただじゃおかねぇからな」
 そしてマリーへと竹刀を渡す。さすがに真剣で勝負はできないようだったが、当たれば相当痛そうだ。感触を確かめるようにあちこちに触れると、マリーは頷いた。
「あぁいいぜ。かかってこいよてめぇら」
 先程アルドヘルムが施したという『配給』による変化を試してみたかった。
 目を閉じてアルドヘルムの言葉を反芻する。
「軍人には特別にマナの配給が行われるんだ。マナは身体能力や精神能力に直結する。軍人は国民を守る必要があるし、逆に国民に負けるわけにはいかないからね」
 配給を受けた、という割には大した変化はないように感じたが、動けば何か分かるのかもしれない。中庭にはいつのまにかスペースが出来上がっていた。近くを通りかかった別部隊の兵士やメイドも成り行きを見守ろうと、遠くに固まりを形成しているのが見える。同時に、負けるわけにはいかないのだという思いが強くなった。心臓が音をたてて鳴る。
 用意されたスペースに進み出ると、男が一人進み出る。覚悟を決めたらしい。いざ向き合ってみると、やはり体格の違いはあるように思えた。
「何だ、意外と小さいな」
 向こうも同じように思ったらしく、余裕の笑みを浮かべた。沈黙がしばらくあたりを支配する。狩りばかりの生活ではあまりこのようなことがないのだが、これもなかなか良いものだ、としばらく浸ってしまう。周囲のことがしっかりと分かるし、何より相手が何を見て、何をしようとしているのかがきちんと見える。
 そして何より、自分が変わっている事が実感できた。内側からじわじわと力が沸いてくるような感覚。身体は落ち着いているのに、相手が何をしてもすぐに動き出せるような気がした。
 向かい合っていた男が地面を蹴りあげる。その僅かな音だけで向きを把握し、すぐに剣を構えた。身体が踊るように軽い。剣を交えても、吹き飛ばされることはない。
(意外とこいつ、力ねぇじゃんか)
 それからはあっという間だった。気づけば、三人の男も脛や鳩尾を押さえて地面に蹲っていた。自分は息切れ一つしていない。昨夜の男になったようだった。荒い息を整えていた三人に、しかしデールは容赦しなかった。
「おいてめぇらァ! 何だあの甘い動きは!」
 誰もが立ち竦むような怒声をBGMに、レクターはマリーに向き直った。その唇が得意げに歪められている。
「やっぱり君は強いよ。筋肉だってついてるし、筋も良い。鍛えればもっと強くなるよ」
「そりゃどうも、でも随分と俺を持ち上げてくれるんだな」
「そりゃあ、差別も偏見も良くないからね」
 レクターはマリーの疑心的な言葉をひらりとかわすように彼は笑う。そして手を差し出した。マリーはしばらくの間ぽかんとしていたが、それが握手を求めているのだと分かると、慌てて手を握る。彼の手はとてもごつごつとしていて、努力の跡が見られていた。
「俺達は本気で、世界を平和にしたいと考えているんだ。そしてその為には何が必要なのか、今考えている。どうか協力して欲しい」
 そう言って真っ直ぐとマリーの瞳を見る。その悲痛ささえ宿したグレーの瞳が、戸惑った表情のマリーを映し出した。
「あ、あぁ……」
 思わず返事をしてしまうと、彼はぱっと手を離し、アルドヘルムへと視線を向けた。
「これから大変だと思うけど、頑張ってくれよ。たまには俺も戻ってくるから」
 アルドヘルムはしばらく視線を逸らすように俯いていたが、やがて顔を上げると、頷く。しかしその表情はどこか苦しげだった。マリーは疑問を覚えたが、突然下半身にぶつかる何かに気をとられてすぐに忘れてしまった。
 膝にくっついていたのはノアだった。紺色の髪の毛が何だかくすぐったい。再び丸い目がこちらを見たかと思うと、今度は「ちゃんと僕のこと、守ってよね」という生意気な言葉までついてきた。
「そういうのはアルに頼れ。俺は配給さえ手に入ればそれでいいんだよ」
 恐らく城から逃げ出せば、配給というものもなくなってしまうのだろう。そうなれば昨夜の男に狙われた時に戦えなくなってしまう。彼の正体が分かるまでは、城から逃げ出さないのが賢明な判断であろう。
 首都セントヘルムは今日も晴天で、平和だ。しかしその中で確かに動いているものがあった。
 この生活がいつまで続くか分からない。しかしそれまではこの国で、守護者として働いてやろう。マリーは決意をこめて、ノアの頭に軽く手を置いた。


←前へ